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ハート・ロッカー
アメリカの戦争と現代を物語る恐怖と戦慄の映像
ヒロイズム抜き、戦争の日常が麻薬のように蔓延してゆく

ハートロッカー。まさに心を閉ざして人殺しをプロフェッショナルとするのが戦争だ。
この映画が今年のアカデミー賞最優秀賞に選ばれたことは、アメリカ人の今の真情を物語っている。同時に、日本のイルカ漁は残酷と告発した「ザ・コーブ」がドキュメンタリー部門で受賞したこともアメリカの今の一面を物語っている。
ふたつの映画に共通するのは、人間がここまで残酷になれる「ハートロック」の極限に迫ろうとしている点だ。

バグダッドの爆弾処理班の兵士の日常の仕事を描いているが、いったん戦場に人間が投げ込まれると、別の生き物に化けることがわかる。その証拠に、兵士たちは殺戮と恐怖のただなかで、麻薬のような陶酔感に浸るのだ。彼らは自分の死に直面しながら敵を殺す戦闘のなかで、恐怖と隣り合わせになりながら、激しい精神の高揚を感じている。敵を殺してヤッターと快哉の叫びをあげる。
いつしか死と殺戮の快感が心身にへばりつき、抜けられなくなり、戦場にいることが大好き人間になってしまうのだ。やがて戦場でしか暮せない人間になる。
味方の誤射で負傷して、やっとの思いで故郷へ帰り、愛する妻子と平穏な日常に戻る。スーパーで買い物をし、家の屋根を修理し、子供と公園で遊び、妻の料理を手伝う生活は、辛い戦場で毎日夢見た生活だった。しかし自宅へ戻ったとき、そこでは満足できない自分を発見する。
彼は妻子を捨てて、再び志願してバグダッドの戦場へ戻るのだ。
恐ろしい映画である。ここまで戦争の現実を無機的に描いた映画は見たことがない。どんな戦争映画でも、どこかにヒロイズムやロマンが忍び込んでいるものだ。
しかしこの映画にはヒロイズムはない。もちろん男のロマンもない。戦争を悪ともいっていない。あるのはただ戦争の現実だけだ。
アーネスト・ヘミングウェイは戦争作家といわれたが、この映画の映像はヘミングウェイのハードボイルドを思わせる戦争描写だ。世界中の戦場を渡り歩いたヘミングウェイは、戦争は人間の属性であり、最大の友だといっている。人間の本性を知りたければ戦場へ行け。作家は戦場で鍛えられると彼はいう。
自爆テロで死んだ少年の腹に埋まった爆弾を、内臓とともに兵士が取り出す様はまさにハードボイルドの極地だ。見る側は吐き気を覚えるが、爆弾処理は淡々と進行する。
戦争に対する思い入れや正義感やヒロイズムのなさは、女性のキャスリン・ビグロー監督ならではの戦争映画といえるだろう。
平和な日常生活を淡々と描くのと同じリズムで、バグダッドの戦場を描くとこうなる。
この地球上には二つの眞逆の生活世界が存在している。ビグロー監督はそういいたかったのか? どちらの世界も人間が作ったものだ。
その眞逆な世界を行き来している平凡なアメリカの若者が、いつしか平和な生活を捨て、戦場にしか住めない人間に改造されてゆく。
それが悪い、ともいっていないのがこの映画の特徴だ。無機的なニヒリズムの匂いがする。
アメリカはここまで来たのか、という思いがする。同時に、平和ボケの進行する日本の現実に思いを致さざるを得なくなる。

戦後日本は米国の軍事力と平和憲法に守られて、人間の属性である戦争から遠い世界に住んできた。まさに映画とは眞逆で対極の世界にいる。
内向きに今の生活レベルの維持を至上命令とし、世界の出来事に心を閉ざしてエゴと飽食を喜びとする日本人、異端を排除する清潔好きのメンタリティとは、どういう精神状態なのだろう?寛容さをなくして人を陰から後ろから虐めるのが快感になってしまった日本人の精神はどこが傷んでいるのだろう。あるいは日本は平和の仮面をかむってはいるが、これも形を変えた内なる戦場なのではないか?
心の価値観を失った日本人の生活は、戦場に暮らす人々と同じような無機的なニヒリズムにとらわれている。あの兵士のように、我々にも帰ってゆく場はない。この映画を見て、そんな寂寞たる思いにとらわれた。
| - | 14:24 | - | - |
クロマグロへ飛び火した「反捕鯨」
イルカ漁映画のアカデミー賞受賞で高まる反日国際世論の本質は何か
背景にちらつく黄禍論再燃の危機と英国産の反日の歴史

たかが映画、されど映画である。捕鯨の町・太地のイルカ漁を隠し撮りした「ザ・コーブ」というドキュメンタリーが、アカデミー賞を受賞した。
まだ映画は見ていないが、報道によれば徹頭徹尾日本文化を誤解した反日映画で、地球エコロジーのシンボルである知能の高い鯨を殺し、クジラの仲間のイルカを殺して食べる残虐な日本マフィア、と描かれているそうだ。
映画のメッセージは侮れない。一過性の報道とは違い、蓄積されたイメージは深く静かに世の中に浸透する。
おりしも、大西洋や地中海のクロマグロ取引が禁止されようとしている。世界のマグロ漁獲量の約80%は日本に輸出されているのだ。
また日本の捕鯨船に侵入したシー・シェパードの幹部が逮捕された。日本の裁判を通じて反捕鯨を世界に訴えるという。まるで正義の使徒、国際的な殉教者の構えだ。この男の扱いを間違えると、さらに国際世論の反日を煽ることになるかもしれない。
シーシェパードの次の狙いはクロマグロ漁禁止運動だ。このままではクジラ、イルカ、マグロと日本人が親しんできた食文化が次々と消滅する。食糧自給率が40%そこそこの日本の食には大打撃だ。

日本人の鯨食は縄文時代に始まり、『古事記』には勇魚(いさな)として登場する。室町時代の京料理の本には、魚の王は鯨、次いで鯉、とある。日本人にとって古代から鯨は魚だった。鯨は、宗教的理由で肉食を忌避した日本人の重要なタンパク源だった。
また戦後の食糧難の時代に鯨で栄養をつないだ世代にとっては懐かしい食べ物で、学校給食にも鯨肉が出された。日本人の食文化にとって、鯨は切っても切れない存在だ。

欧米人は牛豚などの四足動物を食うが鯨は食わない。しかし石油が出る以前の欧米では、ランプ等のエネルギー源に鯨油を利用していた。近年でもミサイルの先端に使う潤滑用グリスに鯨油が使われていた。しかし鯨油以上にすべりの優れたグリスが開発されて鯨油は不要になった。
大西洋の鯨を取りつくして太平洋に進出した米国捕鯨産業は、捕鯨船の補給地として日本の開国を求め、ペリーの黒船がやってきたのだ。
英国は捕鯨基地としてアルゼンチンのフォークランド島を占領した。

シーシェパードの男も「ザ・コーブ」を作った監督も自国の捕鯨にまつわる歴史を知らないのだろう。知っていれば恥ずかしくてできない行為だが、その無知が彼らの反捕鯨運動を支えているのだろう。世の中に無知ほど強いものはないのだ。

実は反捕鯨のイデオロギーの根っこにあるのは、第二次世界大戦下の戦争体験だ。英国王室のマウントバッテン卿はビルマ戦線の総司令官として1万の英国部隊を指揮していたが、日本軍の攻撃で敗退し大量の捕虜を出した。この屈辱の戦争体験がマウントバッテン卿を徹底的な反日に追い込んだ。
昭和天皇が訪英したとき、エリザベス国王主宰の晩餐会に出席を拒否したことで知られている。日本の天皇に会いたくない、という理由だった。

インド洋の島国の小国にセーシィエルという国がある。かつての英領で宗主国の影響が強いところだ。そのセーシィエルが反捕鯨国家として、新興のアフリカやインド洋諸国をオルグして、反捕鯨国家に仕立てIWC(国際捕鯨委員会)に続々加入していた時期がある。新興加盟国は捕鯨とは何の関係もないが、IWCの過半数を得る評決のためだ。
日本の農水省からも役人が出席していたが、孤立して無力で、アフリカ諸国の多数に押されて発言を封じられていた。日本代表は「おれは松岡洋祐にはならない」と意味不明なことをいっていた。
官僚の無能のせいか、外交力で日本は歯が立たない。捕鯨に関する日本の主張は無視され続けてきた。

IWC総会で1982年に日本の商業捕鯨が停止(モラトリアム)され、わずかに調査捕鯨という名の捕鯨が残されたころ、セーシィエルを訪ね、反捕鯨の事実を取材したことがある。
大統領や首相、外務大臣にも会って反捕鯨のホンネを聞き出したが、セーシィエルの首脳も国民も日本に対する敵意はみじんもなかった。むしろ経済大国日本への親近感が強く、日本との交流を促進したいということだった。
実はこの国は反捕鯨でも何でもなく、宗主国の指導に従って反捕鯨を訴えてIWCのリーダーシップを握っていただけということがわかった。
鯨を食べない彼らは捕鯨禁止が海のエコロジーを守ると信じていた。

チャーミングな首相が自宅の食事に招待してくれた。「日本人は鯨を食べるが、われわれはコウモリを食べるんだよ」と笑っていった。「そうか、日本人はコウミリは食べない。文化の違いですね」と答えたことを覚えている。
「日本の捕鯨文化のために何かしたいと考えて調査捕鯨の道を残したことを理解してほしい」と彼はいった。

さらに取材を続けているうちに、反捕鯨団体のスポンサーの中に英国の日本軍捕虜体験がある旧英国軍人がおり、これが米国の旧軍人とつながっているという話を聞いた。戦時下の遺恨が反捕鯨という形になっていまだに連続していたのだ。マウントバッテン卿も熱心な反捕鯨論者ということだった。

反捕鯨の高まりは、中国や韓国などにある反日とは性格を異にする。中韓の反日は旧日本の植民地主義や侵略に対する歴史認識の側面が強いが、英国の場合はもと個々人の捕虜への残虐行為、というように具体的なのである。
個人主義の国だから、国家間の関係ではなく、謝罪要求や補償要求は個人レベルで今日も続いている。

中国経済の未曾有の発展、バンクーバ五輪の韓国の金メダル量産、北朝鮮の核兵器開発などの現実は、欧米の東アジアに対する警戒感を高めている。
トヨタ問題もそうした文脈でとらえたほうがいいだろう。

これは新しい黄禍論の再燃ではないか、鯨、イルカ、クロマグロをめぐる反日国際世論の高まりをじっくりと見据えて、真実の原因を突き止め、早急な国際世論への対応を考えないといけない。

(C)このコラムの著作権はすべて現代メディア・フォーラムに帰属します。
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アメリカはなぜ沖縄に固執するか
ペリー来航の隠された目的は沖縄の占領だった
沖縄中心の同心円を描くと米国世界戦略の要衝が見えてくる

普天間移設問題がやっと政治の中心課題になってきた。いまや鳩山政権の尻はカチカチ山の狸状態だが、現政権の大きな火種は政治とカネではなく、実は米国なのである。
米国はなぜ沖縄基地保有に固執するのだろうか。近視眼の日本人にはわかりにくいが、米国の沖縄への関心の高さは、いまにはじまったことではない。米国の意図を知る上で、近現代の歴史を振り返ることも必要だ。
ペリー提督の日本遠征の隠された目的の一つが沖縄占領だったが、これを知る日本人はほとんどいない。以下に米国が固執する3つの沖縄について書いておく。

その1 ペリーは沖縄占領の密命を共和党大統領のフィルモアから受けていたとされる。
ゴールドラッシュに沸いていた米国の西海岸の軍事的防衛と、パナマ運河開通で中国との貿易航路を開く上で、沖縄の地勢は極めて重要だった。
ペリーは沖縄を薩摩の圧政から解放するという大義を立てていた。
しかしペリーが日本遠征に出航した後、大統領が民主党のピアスに代わり、新大統領は沖縄占領を許可しなかった。ペリーはこれに失望し、日米和親条約で函館と下田開港をさせただけでそそくさと引き揚げた。
もし共和党政権が続いていたら、沖縄の運命も日本の明治維新のあり方も違っていただろう。ペリーが本気で沖縄を占領していたら、薩摩との間で薩米戦争が起こったかもしれない。

その2 太平洋戦争で日米の領土内で陸上戦が行われたのは、硫黄島を除けば沖縄だけである。日本の真珠湾攻撃は米領土攻撃だったが、陸上戦はなかった。
沖縄は米国が血を流して占領した領土、という執着がある。サンフランシスコ平和条約締結後も沖縄は米国の施政権下に残された。
占領下、昭和天皇とマッカーサーの間で10回以上の日米頂上会談が持たれ、沖縄の基地問題が話し合われたが、マッカーサーは半永久的に沖縄に米軍基地を置く意思を示したといわれる。マッカーサーのこの沖縄の基本認識は、60余年を経た今日のアメリカでもあまり変化していないように見える。

その3 冷戦後の沖縄基地の戦略的価値は、対テロ戦争や北朝鮮に備え、
ますます高まっている。沖縄以外にある内地の米軍基地は冷戦下のソ連などに備えたもので、価値は減じている。
沖縄を中心に同心円を描くと、沖縄の戦略的重要性がわかってくる。極東アジアから東南アジア、インド洋、アフガニスタン、中東などへカバーする円の孤は伸びてゆくのだ。
対テロ戦争、アフガン戦争、中東危機などを抱えるアメリカが沖縄を手放すことはない、と考えるのが国際関係上の常識だ。

以上の3つの歴史的、地勢的条件はアメリカ側の視点から沖縄を見たものだ。

日本には日本の言い分がある。戦後60余年も経ているのに、いまだに基地があるのはおかしい、と多くの日本人は思っている。
沖縄の人々言い分はすべての米軍基地の沖縄からの撤退だ。

しかし平和憲法を持つ日本には日米同盟があり、日本に米軍が駐留するので日本の安全が保たれている、と心の中では思っているにせよ、日本人のタテマエは基地撤去である。米軍がいなくなった場合の安全保障をすべて自衛隊が担うのかというと、そこまで腹をくくっているわけでもない。

こうした日本国民の二律背反の思いは米国人には通用しない。日米同盟の名のもとに、こうしたギグシャグした従属的な日米関係を作ってしまった責任はどこにあるのだろうか。
根本的な理由は、日本外交の不在だ。自らの主張を歴史を踏まえながら論理的に米国に説明する外交力がなかったからだ。アメリカの意を汲むことが外交だと政治家も外交当局も勘違いしてきたのが、日本の戦後だった。
同じ敗戦国ドイツはNATOという軍事同盟の枠組みの中に入って、応分の国際的な義務を果たすと同時に、米国に対する発言力もっている。

対米従属を続けてきた自民党政権から民主党政権に交代したとたんに、沖縄の基地を撤去せよ、というロジックは米国には理解しにくいだろう。
日本人が米軍基地を嫌う感情は理解できても、自国の安全保障をどう考え、世界中で平和が脅かされ、戦争やテロが絶えない現実をどう思っているのか。
平和と安全保障が壊れた社会がいかに悲惨な世界になるかは、日本人が60余年前に経験したことだ。
日本人はそれすらも忘れて、日本に米軍基地が存在すること自体が平和と安全を脅かす、という倒錯した論理にたどりついているように見える。
このへんで、日米の沖縄関係史を見直して、冷静な目で普天間移設問題を考えるべき時だ。
金と政治の話の別ヴァリエーションのようにして、普天間移設までも政局に利用する愚かな政治を見たくはない。
それは犠牲を強いられてきた沖縄の人々と、日本の政権交代の行方を見守ろうとする米国に対して、裏切り行為になる。

(C)このコラムの著作権はすべて現代メディア・フォーラムに帰属します。
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「革命、反革命ごっこ」を歴史的に解明する
小沢氏の役割は反革命エネルギーを吸収するバッファーだ
保守を気取る自民だが、小沢氏が立ちふさがって本領を発揮できない


民主党は今回の政権交代を「革命」と主張している。明治以来続いてきた官僚主導政治を終わらせるという革命だ。民主の革命に反対する自民党は健全な保守を掲げるが、内実はアンシャンレジーム(旧体制)の擁護者だ。
昨年夏の総選挙で国民は革命側を支持した。国民は、一部官僚エリートや既得権益保有者だけが得をする官僚主導政治の抑圧感、閉塞感から逃れ、真に国民のニーズを反映する政治主導の実現を願ったのだ。
しかし現実は違った。かつて60年代の全共闘時代に江藤淳氏が喝破した世界、つまり戦後日本にはマトモな保守も革新も存在せず、すべては”ごっこの子供の遊び”世界に帰する、という政治論を超えることはできなかった。そういう失望の念が広がっている。
参院の予算委員会に遅れて来た3閣僚があやまる風景は、遅刻した優等生が先生や級友に謝る軽い姿のようにしか見えなかった。その軽さは”ごっこの遊び”に似ていた。
民主の革命には、何かが足りない。革命の本質的なもの、信念を貫く激しさや国民を救う思想や情熱が足りない。
自民党も同様だ。健全な保守というが、保守の理念も愛国の情熱も見えない。保守の覚悟も美学もない。日本の保守の本質とは現世に執着せずに従容として武士道を守ることではないのか。西郷隆盛は賊軍といわれながらも、西南の役を起こして、盟友・大久保利通に刃を向け、救国の真情に命をかけたではないか。
小沢氏、鳩山氏の金銭疑惑を追及する国会で、世界の非難を浴びるトヨタのトの字も出てこないのはなぜか? トヨタ問題は個人の金銭疑惑ではなく、政治が論じるべき国難である。

自民党のアンシャンレジームを語るにしても、安物にすぎる思想しかないのが残念だ。
安物にすぎる思想的根拠は、小沢氏に対する繰り返しの金銭疑惑の追及ぶりである。また母親の資金頼みだった鳩山首相に対する侮辱的ともいうべきマゾコン批判である。
米国のケネディ家は名門で、息子が大統領になるために資金を作った父親の愛情と配慮がのちの名大統領を生み、米国に多大の貢献をした。そんなケネディの女癖の悪さを語る人物はいても、彼の政治資金疑惑を語るアメリカ人に出会ったことはない。

検察捜査にのみに頼って小沢氏を追及し、母親の金の贈与を国税がらみの脱税で誹謗する自民党は、取締当局という官僚組織に依存しすぎている。
このやり方は、ミヤンマーなどの後進国軍事政権がスーチー女史の民主化運動を弾圧するときに軍や警察を使うのと似てはいないか。
いぜれにせよ、革命の思想も覚悟も薄い民主党政権は、”革命ごっこ”をやっているに過ぎない。またアンシャンレジームのレベルにも達していない自民党は”反革命ごっこ”を楽しんでいる。

もしも民主党が本気で革命をする気があるなら、衆参議会の過半数がある間にマニフェストで掲げた目指す法律をどんどん通せばいいのだ。政治資金規正法改正、企業団体献金の全面禁止、税法の優遇措置、ネット選挙運動の解禁、記者クラブ解放、幼保一元化、派遣労働禁止、大企業の内部蓄積規制、食糧自給率拡大、教育基本法改正、メディアの寡占規制、日本型FCC創設、ネット個人献金法、後期高齢者医療制度廃止、年金改正、天下り禁止、役人のリストラ、高級官僚の給与見直し等々。支持率の落ちた参院選挙で負けるかもしれない民主党が、法律を通ることができるのは今のうちだけかもしれない。

民主党が本気で革命をするつもりなら、かつての自民党がやったような強行採決の山を築けばいいのだ。行き過ぎや修正は次の政権が行えばいい。
自民党の数を背景にした小泉政権時代に、後期高齢者医療保険制度導入に始まり派遣労働の認可、福祉予算カット、医療補助カットなど格差社会を拡大させる悪法が国民の知らない間にたくさん通過しているではないか。

自民党は健全な保守の理念を樹立し、天皇制をどうするか、米国、中国との関係再構築、日本の安全保障確立、経済の再建など日本の未来に対する明確なビジョンと思想を打ち出せば、日本の二大政党政治のの受け皿として、政権復帰の芽が出てくるだろう。
いまのように小沢氏の金銭問題をほじくっていては政権奪還の芽はない。
なぜなら田中角栄の申し子で古い自民党体質そのものである小沢氏が民主党に存在することで、民主党内における反革命とアンシャンレジームの役割を、ほかならぬ小沢氏が一挙に引き受けているからだ。
小沢氏は反革命エネルギーのバッファーだ。
マスコミや自民党がいかに小沢批判を繰り返しても、小沢氏は傷つかないでいられる。小沢氏は自分の問題を棚上げして政治改革を主張できる。そうした矛盾した立場にいられるのは、ほかならぬ古き自民党の支えがあるからだ。
小沢氏が民主党にいる以上、古い自民党は国民にとって無用の長物にすぎない。民主党の中に古い自民党が存在しているからだ。この現実を自民党は直視しなければならない。

自民党はきっぱりと古い自民党から決別して、民主党の「リベラル革命」と「大きな政府」に対抗して、「保守革命」「小さな政府」の旗を高く掲げることでしか再生の道を歩むことはできないだろう。
日本の政治文化に二大政党政治がなじむかどうかはわからないが、少なくとも、政権交代が実現した今は、自民党が二大政党政治の受け皿になるしかない。
大正デモクラシー時代に、原敬首相が追求した政友会と民政党の二大政党政治の萌芽は戦前の日本には存在した。
しかし日本の二大政党政治の芽は、戦争翼賛の軍国主義と戦後のGHQ占領によって阻まれてしまったが、今回の政権交代によってやっと実現したのである。
欧米先進国並みの政権交代がスムーズに行われる政治文化が日本にも定着したとき初めて、われわれは”ごっこの世界”から足を洗うことができる。

(C)このコラムの著作権はすべて現代メディア・フォーラムに帰属します。
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