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小沢氏の出馬とメディアの敗北
なぜマスコミは驚天動地するのか
分析なしの思い込みと希望的観測で事態を読めなかった確信犯のメディア

小沢一郎氏が民主党代表選への出馬を、突然、正式表明した。メディア各社は驚天動地の大慌て。テレビワイドショーは、小沢氏の出馬の可能性をコメンテーターがあれこれ憶測し、おおむね否定的なコメントをしているさなかに、小沢出馬のテロップが流れた。
あまりに突然だったので、番組を急きょ、組み替えることもできず、なんとも間が抜けた番組展開が続いていた。戦争が始まったのに、戦争は起こるか、という類の”真珠湾奇襲”を思わせる出来事であった。

小沢氏を叩き続けてきたメディアの敗北、というべきだ。なぜなら、小沢氏を叩くマスコミの手法は、およそ政治報道のレベルにはなく、芸能人の不祥事並みの質の悪いポピュリズム(大衆迎合)にすぎなかったからだ。

これまで新聞もテレビも小沢氏の出馬には否定的で、仮に出馬したとしても世論が許さない、という横並びの論調ばかり目立った。いつもそうだが、政治コメンテーターほど当てにならない、間違った判断を繰り返す人種は世の中にいない。いったい、毎日、何を取材して歩いているんだろうか。あるいは、取材もせずに自分の小さなアタマの中の思い込みだけで話を組み立て、間違ったコメントを垂れ流しているんだろうか。報じるテレビは間違っていることを知りながら、あえて視聴者を欺く確信犯のメディアなのか。
いずれにせよ、小沢氏を叩くメディアの図式は貧弱極まりないものだったし、もう少しましな調査報道はできないのか。疑問はつきなかった。

小沢出馬にメディアが否定的だった理由は、日本国民ならだれでも知っている「政治と金のスキャンダル」と「検察審議会の強制起訴」の可能性の問題だ。さらに、これにまつわるマスコミの世論調査で、世論のほとんどが小沢出馬に否定的、という図式的根拠である。

こうして繰り返されてきた小沢氏へのネガティブキャンペーンは、そもそもメディアの報道から始まっている。秘書まで逮捕された政治と金の話は、実は多くの国民に事実関係はよくわからない。しかし連日繰り返され単純な図式的ニュースの刷り込み効果で、国民は小沢氏がダーティであるとイメージを受け入れ、そう思い込んだ。
筆者は小沢氏を弁護するつもりは全くないが、それでも小沢氏がどのような政治犯罪を行ったのか、明確には理解していない。新聞記事で読めば読むほどわからなくなる。その繰り返しだった。

また検察審議会という組織の実態がつかめない。誰がどのようにして検事を選び裁判を実行するのか、イメージがさらにつかめない。審議を素人が担当するというので、これが国政を左右する大事件だと国家の運命を左右しかねない検察ファッショを生む危険がある。市民目線ではそう考える。

メディア学の賢者マクルーハンもいうように、テレビは新聞のように事実関係を正確に踏査できるメディアではない。新聞の尻馬に乗って小沢氏極悪人のイメージを作って思い切りバッシングしてきた。
そういうテレビの洗脳効果をベースに小沢氏をどう思うか、と世論調査をすれば、ほとんどの人がネガティブな回答をすることは当然なのである。

以上のように分析すると、マスコミが使った「政治と金」「世論調査」という伝家の宝刀は、実は錆びついた宝刀にすぎない。

政治と力、金と陰謀の問題については、マキアヴェリの『君主論』などの古典的名著に詳しい。いくら文明が進歩し、新しい技術が起ころうとも、人間の精神は進歩しない。せいぜい、よりよく生きるという心構えが、人間精神の進歩なのであろう。
政治も同様である。民主主義が本当に私たちの国にかなった政治システムかどうかはわからないが、とりあえずこれを選択しているだけである。
その意味で言えば、「政治は力である」というマキアヴェリの政治思想の本質は現代でもさほど変化してはいない。

読売新聞主筆の渡辺恒雄氏の『君命も受けざる所あり――私の履歴書』の中に、55年体制下の永田町で、現ナマが飛び交う風景が出て来る。日本の政治風土の原点を思わせる描写である。
この政治風土から日本の現代政治は本当に決別しているかどうかの詳細な検証抜きに、小沢氏だけを叩くのは、メディアの党派的な運動にすぎす、当を得てはいない。
第一、メディアの膝元の官房機密費がどの記者に流れたかの検証すら行われていないことを、メディアは肝に銘じるべきだ。
| - | 18:36 | - | - |
八ヶ岳の森の中でビートルズを聴く
ヒートアイランドからしばし脱出!
ダブルファンタジーとフリージアの花
concert
八ヶ岳高原の八ヶ岳倶楽部で開かれたサマーコンサートに出かけた。
八ヶ岳倶楽部は日本野鳥の会会長で俳優の柳生博さんが経営しているが、このアコースティクライブは、NHK番組でおなじみの息子さんの園芸家・柳生真吾さんが企画して、毎年、この時期に開かれている。
バンドリーダーとボーカルは下田秀明さん、日本有数のトルン奏者・小栗久美子さん、ギターとボーカルの鹿内芳貴さん、ボーカルの鹿内悠子さん夫妻、今年からメンバーに加わったバイオリンの森川拓也さん、パーカッションの岡山晃久さんたち。

森の精を招くかのような小栗さんの優雅なトルンの響きからスタートしたコンサートだが、これにバイオリンの森川さんが加わると、一挙にテンポがジャス調に変化した。パーカッションの岡山さんのパフォーマンスで会場が盛り上がってくると、やおら下田さんがビートルを熱唱し始めた。

私は毎年、京都からはるばるこのコンサートを聴きに八ヶ岳まで来ている。東京で朝日新聞記者をしていたころから、柳生家のご家族の皆さんと知り合い、以来、約20年間、八ヶ岳倶楽部を訪ねている。

私にとって、サマーコンサートの目的の一つは、下田秀明さんのビートルズを聴くことだ。下田さんは理系の大学出身ということで、本職は学校の先生である。
下田さんは私より年下だが、私にとっても学生時代の思い出のビートルズだが、年をとるにつれ、”封印”していたところがある。グレイな現実に身を沈めて記者の仕事をしていると、自分の現実から遠ざかっていくように見えたビートルズのラブ&ピースが面映ゆかった。

しかし年に一度、八ヶ岳で下田さんのビートルズを聴くと、初めてビートルズを聴いたときの感動がよみがえってくるのだ。八ヶ岳の森では心おきなくビートルズを聴くことができた。

真吾さんと下田さんは先生と生徒の仲だが、ビートルズ好きを通じた師弟の友情の絆は長年、続いているわけだ。

黄色の花、って何だろう? ジョン・レノンはバミューダ島の植物園で「ダブルファンタジー」の花に出会って感動し、このアルバムを作ったといわれる。

最近、園芸家の柳生真吾さんは、この花がフリージアであることを突き止めた。
そしてバミューダの植物園に、フリージアの花いっぱい運動、を始めた。すでに400人ほどの賛同者が集まっているという。凶弾に倒れたジョンの平和への意思をバミューダで再現したいのだという。バミューダだけでなく、日本でも種子島の植物園にフリージアの花いっぱい運動を広げるつもりだという。

種子島といえば、日本に初めて鉄砲が伝来したところ。その種子島からジョンの「ダブルファンタジー」を通じて、彼の平和への意思を世界に発信し、バミューダ島とともに、世界平和をイマジンする発信基地を作りたい、という。

コンサートでは沖縄の島唄のリクエストも出て、それに応えたボーカルの鹿内夫妻が熱唱してくれたが、ラストはジョンの「イマジン」で締めくくりになった。

私は大学紛争世代の一人だ。ビートルズは青春のシンボルだったし、「ウイシャル・オーバーカム・サムディ」のジョーン・バエズの歌声は身近にあった。

あっという間だったように感じているが、あれから、ずいぶん遠いところへ来てしまった。 ( 柴山 哲也)

| - | 10:58 | - | - |
戦後65年、国民にも謝罪する必要がある
日本はなぜ敗戦したのか、日本人の手でいまだに明らかにしていない
敗戦責任と国民の犠牲について広範に論議する時期が来た

十和田湖で戦時下の陸軍練習機が墜落した機体が発見されたと、マスコミは報道している。戦後65年もたったいま、日本では珍しいニュースかもしれないが、太平洋戦争の本場の南太平洋では日常の風景である。
こんなニュースを大々的に伝えるマスコミの報道に、戦争の風化以上のジャーナリズムの堕落と自己欺瞞を感じる。自分の国周辺のニュースしか見えていない視野狭窄だ。

十年ほど前、トラック島を取材したとき、地元の少年が日本軍の戦跡を案内してくれた。戦跡は子供たちの格好の遊び場なのだ。島に放置された兵器の残骸をもぎ取ってきて、それを戦争ごっこの玩具にして遊んでいる。
島の沖合の水深2、30メートルほどの海中にゼロ戦が沈んでいた。水が澄み切っているので、泳いでいるだけで海底のゼロ戦の姿がくっきり見えた。日の丸の赤が鮮やかだった。もぐって見てきた少年は、「中には人がいる」と、まだ遺体が残されているような話をした。
戦争末期、敗戦に怯える大本営は少年兵を使って、神風神話を植え付け、命を惜しまない特攻隊要員に仕立てたが、南太平洋にはそんな少年兵が乗ったゼロ戦や特攻機がたくさん沈んだまま顧みる人はいない。唯一、地元の子供たちに遊んでもらっているのだ。そう思うと哀れさが身にしむ。
ジャングルの中のトーチカには錆びた鉄兜や飯合が散乱していた。日本兵の遺品や遺骨も出てくることがある、という。

日本が起こした戦争の巨大な遺物と残骸と遺骨が南太平洋には残っているのだ。日本国内で行う追悼行事の儀式とは裏腹に、凄惨な現場は世界のさらしものになって残ってしまっているのだ。ビキニ環礁のひそみにならい、日本が起こした戦争の悲惨の遺跡として、世界遺産の指定を申請したい気にも
なる。
取材中、激しいスコールにあい、椰子の木蔭で雨宿りしたとき、突然、椰子の葉ずれの音が激しく鳴り響き、まるで人が呻吟する声のように聞こえてきた。この周辺の海で何百万の日本兵の命が消えていったのだ。彼らの行き場をなくした魂が彷徨い、時たま訪ねてくる日本人に魂の救いを求めているのではないか、と考えた。

真珠湾から半年後、停戦のチャンスがあった。ミッドウエー、ガダルカナル敗戦で戦況が悪化したとき、連合艦隊の山本五十六長官はひそかに停戦を打診していたのだ。しかし敗戦責任を取りたくない日本政府と大本営はこれを拒否した。以降、合理主義精神をなくした大本営は非合理な精神主義を鼓舞して、女子の竹槍部隊や少年特攻隊を考え出した。
山本長官の停戦案がパチンコ サイト入金不要ボーナスされていたら、日本の人的、経済的損失ははるかに小さく、沖縄戦も原爆もソ連の北方領土占領もなかっただろう。しかるに様々な戦史資料を読むと、山本長官がミッドウエー敗戦を隠ぺいしていたなどの間違ったものが多い。これは、のちに戦死した山本長官にすべての敗戦責任を押し付けようとする策謀なのではないか。

菅首相は日韓併合の間違いを韓国に謝罪した。しかし大戦で最大の犠牲を被ったのはほかならぬ日本国民だ。
太平洋戦争開戦から敗戦のポツダム宣言受諾まで、国民の預かりしらないところで決定が行われた。真珠湾から半年くらいたって、ミッドウエーやガダルカナル敗戦の後、連合艦隊の山本五十六司令長官の停戦の申請も大本営は無視したというから、その後の戦争遂行にかかわる全責任が日本政府と大本営にはあった。

ずるずると残る3年を負けるとわかった無謀な戦に費やし、数百万日本人の生命を奪い、生活を破壊し、本土空襲、原爆投下、沖縄地上戦、ソ連の北方領土占領という破滅のシナリオを自作自演で突っ走った責任は日本政府にある。

他国に対して、日本政府が日本の非は非として謝罪するのは当然だが、敗戦と戦後処理の失敗に対しては、国民にも謝罪する必要がある。
戦後65年、国民にあれだけの犠牲を強制しながら、国からの謝罪の言葉はない。周辺には戦争で父を亡くした肉親、知人が多数いるが、国から謝罪の言葉のひとつを聞いた人はいない。
トラック島の日本兵のように多くが顧みられることもなく、ほったらかしにされている。

戦場で、あるいは本土空襲で勝手に死んだ人間が悪い、というような言い分になる。戦争を始めたのは国だが、国民は自己責任で生きろ、ということだ。
戦後65年、政府は国民にけじめをつける意味でも、大戦で国民に与えた多大な生命と財産の犠牲に対して、謝罪する義務がある。
東京裁判で日本の戦争犯罪は裁かれたが、それは戦勝国の論理で行われた裁判であり、日本国民は戦犯訴追よりも敗戦責任を追及すべきだった。
東京裁判が日本人による敗戦責任追及を困難にしたせいもあるが、戦後65年の間に、敗戦責任を追及することは日本でほとんど行われていない。

また終戦時、「一億国民総懺悔」を説いて国家の敗戦責任を棚上げし、ポツダム宣言に対して、「笑止千万」と書いて、「国民玉砕と徹底抗戦」をキャンパーンした浅薄な時流に乗った精神構造を、もう一度厳しく反省するほうがいい。
マスコミのこうした精神構造も、日本政府の国民を犠牲にする精神も、いまだに健在だと思うからである。

南太平洋の戦跡を取材を通して、犠牲になった日本国民とは、つくずくお人よしの民族であると思えてならなかった。
| - | 12:43 | - | - |
太平洋戦争の「失われた3年」を検証する
なぜ停戦ができなかったのか、ずるずると消耗戦を継続した日本
責任回避国家の運命、原爆投下の悲惨が意味するもの

広島には来たのに、長崎にはなぜ来ないか。米国代表の原爆記念日式典への出席をめぐる感情論をマスコミは伝える。
駐日米国大使が広島に来た国際的な意味を、感情論に終始する日本のマスコミはほとんど分析していない。唯一、原爆を実験的に投下された日本国民が感情的に米国を非難する理由はあるが、ジャーナリズムの役割はそれだけで事足りるわけではない。
核兵器をめぐる世界の国々の思惑やしたたかなパワー・ポリティクスを冷静に分析する必要がある。
オバマ大統領がプラハで核兵器廃絶の演説を行ったのは、単なるセンチメンタリズムではない。テロリストが核を手にしたらどうなるか。現代における核兵器の拡散によって、核戦争の脅威が身近になってきたからだ。

広島、長崎で核廃絶の式典が行われているさなか、キューバのカストロ議長は、北朝鮮、イランと欧米諸国との間で核戦争の足音がする、と不気味な演説をしている。
実際、北朝鮮の核武装をめぐって米韓の軍事演習が目立ち、日本海にはいつになく荒波が立っている。

65年前の今日にさかのぼると、日本は天皇の御前会議でポツダム宣言を受諾した。国体の護持、戦犯の処罰法などをめぐり、9日から行われた御前会議は収拾がつかず、長崎に2つ目の原爆が落とされた。
その結果、10日の未明、日本はポツダム宣下の受諾を決定した。
もう少し早く受諾を決定していたら、少なくとも二度目の長崎原爆は回避できたかもしれない。

いつでも決断が遅すぎるのである。

日本海軍の連合艦隊で山本五十六司令長官のもとで太平洋戦争を戦っていた筆者の叔父が書き残した日記風手記を読むと、ミッドウェイー海戦敗北後、ガダルカナル島攻防の失敗で日本敗戦は確実になった状況が読み取れる。誰にも言えないことだが、と叔父はそう記している。

手記によれば、山本長官もそのように考えて、傷を最小限にとどめる停戦の模索を大本営に進言していたというが、戦争遂行派が占める政府指導部の了解を得ることができなかった。
叔父の手記を読む限り、前線で戦う日本海軍には常識的な国際感覚があり、リアリズムに徹した合理主義精神もあった。

しかし残念ながら、太平洋の主戦場を知らない大本営にはリアリズムの喪失があり、いたずらに精神主義を鼓舞して泥沼の負け戦にあえて突入した。
叔父の手記の全編に、前線で戦う兵士には、真珠湾奇襲から終戦の聖断にいたる政府や大本営の意図がわからない、という苦渋がにじんでいる。そして自分が率いる軍艦が撃沈され、戦争敗北の重圧任に打ちひしがれている。
楽しい思い出も記されているが、その思い出とは、海軍兵学校に合格した青春時代のことか、卒業記念の世界一周遠洋航海で、パリやロンドンやニューヨークに旅したことだ。

戦争がぐずぐずと長引いている間に、多くの軍人が戦死し、国土は焦土と化し、ついに広島、長崎に原爆が投下され、日ソ不可侵条約を結んでいたソ連の予想外の参戦で、数万の日本軍人のシベリア連行と抑留が起こり、北方領土がむざむざと占領された。

ミッドウェイ海戦は昭和17年6月5日から7日にかけての海戦で、この戦の敗北を契機に日本は敗戦の坂を転げ落ちたのである。
その後、昭和20年8月10日のポツダム宣言の受諾を決めるまでの3年以上の歳月は無駄な消耗戦に明け暮れたというわけだ。
いま流うにいえば、「失われた3年」、ということになる。この3年の間に、竹槍部隊や国民総動員体制など作らずに、停戦交渉を必死で行っていれば、本土空襲や原爆を投下されることもなく、戦死者数も圧倒的に少なく、北方領土をソ連に占領されることもなかっただろう。
停戦の条件としては、中国からの軍隊の引き揚げ、満州国解体、太平洋の諸島の日本領の返還などの条件は付いたかもしれないが、独立国家としての尊厳は守られたはずだ。

たぶん、ミッドウェイ海戦の時に、坂本龍馬が生きていたら、停戦和平を画策して世界を動き回っていたことだろう。薩摩と長州の和平ではなく、日米の和平に龍馬は動いたに違いない。

いまの失われた20年の研究も重要だが、太平洋戦争の「失われた3年」を調べるために、日米の歴史資料を読み直している。
いま浮かび上がってくる仮説は、決定の空洞化だ。日本の指導部中枢で責任回避が横行し、決断を避けて現状をずるずると引き延ばしたこと、それによって事態はどんどん悪化したこと、だ。
しかもその責任はすべて前線で戦う軍人や民間人にの自己責任として負わされてきたのではないか。戦争には何の責任もない被爆者救済がいまだに不十分なことを見ても、日本の指導者たちがいかに自己責任を回避してきたか、がわかる。
| - | 11:58 | - | - |
川を挟んだ被爆者認定方法とは?
なぜ被爆したか、いまだに被爆者に自己責任を負わせる国家

広島の原爆記念日式典に、原爆を投下した米国の代表をはじめ、国連事務総長や第二次世界大戦の戦勝国の英仏の代表など全世界の要人たちが参列した。二度と核兵器を使わないこと、核兵器廃絶にむけての思いを新たにしたことは貴重で、人類の進歩だ。

おりしも、米国が二度目の核兵器使用を検討したことがあった朝鮮戦争時の休戦ラインを挟んで、南北の緊張が高まり、北朝鮮が戦時使用可能な小型核兵器を開発していると伝えられる。

日本国内では、65年後のいまだに原爆症や後遺症のガンに悩む人々が多数いるが、原爆症の認定をめぐって国との訴訟が続いている。NHKが5日夕刻のニュースでも報道したが、8千数百メートルの原爆キノコ雲の高さや形状をコンピューター解析して、被爆地を限定し、被爆時にそのエリアにいた人々を被爆者として認定しているという。その範囲は広島市内を流れる太田川を挟んでいて、川の片方の流域にいた住民は被爆していないと認定されたという。
空から落とされて爆風で拡散した原爆なのに、地上を流れる川の片方の流域地区の住民だけを被爆者とした合理的根拠はどういうものなのか、理解に苦しむ。いくら精密にコンピュータ解析しても、出された結論が非合理なものなら科学の意味はない。科学が非合理を正当化している好例だ。
年金記録喪失、高齢者行方不明、冤罪事件の多発など、日本という国には科学が非合理を正当化するために使われている事例が多すぎる。何のための科学なのか?

駆け出しの記者のころ、もう30年ほども前のことだが、広島大学の原爆放射線医療研究所(原医研)という研究所の助手のYさんにインタビューしたことがある。原医研はGHQが原爆の後遺症や効果などを調査するために、戦後すぐ作ったABCCという研究機関で、占領終結後に広島大学に移管されたものだ。
ABCCは極秘裏に作られた機関でこれを報道しようとした新聞がGHQの検閲を受けて睨まれ、記事を削除されたことがある。

取材に応じてくれた研究者Yさんは、医学の専門家ではなく、社会学の専門家だった。ABCCがどのような機関であったかを詳細に話してくれた。被爆者を集めて人体の被爆調査はしたが、治療は行わなかったという。被爆者の調査データは膨大なもので、被爆地域の全域のデータが集められた。そのデータのほとんどが米国の研究機関に送られた、という。
彼は自らの聞き書きや調査によって、破壊された被爆地域の復元を行い、住居や住民データが細かく書き込まれた手書きの地図を見せてくれた。想像以上の広いエリアで爆風と熱による破壊、放射線による被害が出たことがわかるデータだった。
当時、広島、長崎の原爆記念日の式典は政治的なイデオロギーの色彩に彩られ、政府、社会党、共産党などが別々に式典を実施するようなありさまで、どの式典に出席するかで、どの党派に属するかがわかってしまった。

劇作家・別役実氏の『象』という作品が学生演劇などで上演されたりしたが、被爆者とその家族の行き場のない苦悩と不条理を表現していた。
「なぜ被爆したのか、被爆したからである」などという同義反復の台詞が塗りこめられた前衛劇、シュールリアリズム劇だった。
被爆の責任を被爆者のみが負って生きるしかない無残で不条理な自己責任社会が描かれていた。自己責任を言い出したのは、小泉純一郎元首相が元祖ではない。

もう一度、その後の話を聞きたかったが、残念ながらYさんは若くして亡くなってしまった。あのとき見せてもらった手書きの資料はいまどうなっているのだろうか?
あの資料を見れば、キノコ雲の高さとか、太田川の片方だけを被爆認定するという愚策はあり得ないはずだ。
もし日本側に原爆投下時の正確な資料がないのなら、日本政府が米国に問い合わせて資料の提供を求めれば、米国は応じるはずだ。そういうこともせずに、原爆投下写真だけを頼りにしたコンピューターでキノコ雲を解析して、被爆エリアを推定することは、科学性の希薄な徒労というべきだ。社会学や社会科学の知見がまったく存在していない。

ところで、亡くなったYさんがポツリと漏らした言葉がずっと忘れられないでいる。GHQにはたくさんの英語のできる日本人が雇用されており、ABCCには日本人医師もいた。彼らはGHQの指令どうりに動き、被爆者の医学的データを集収したが、治療は一切しなかったし死んでゆく人々の命を助けることもできなかった。のちに進歩的な医学者として社会的な名声を得た方もいるが、ABCCにいたという経歴は表には出ていない、とYさんはいった。ここにも世の中の不条理がある。

被爆65周年のいま、広島大学医学部の狭い木造研究室で会ったYさんのインタビューのことを思い出している。
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世界遺産になったビキニ環礁
約20年前に取材で行ったときは、立ち入り禁止地帯だった
核廃絶に日本外交が真価を発揮する好機ではないか

ビキニ環礁が世界遺産に指定された。約20年前、真珠湾50周年企画の取材で太平洋戦争の跡をルポするために、マーシャル島を訪ねたことがある。ビキニ環礁は立ち入り禁止だった。
マーシャル島は、サンゴ礁に囲まれ、太平洋の真珠の首飾りをいわれるほど美しい島だったが、太平洋戦争を機に島は趣を変えてしまった。
ビキニ環礁ではアメリカが70回近くに及ぶ原水爆実験を繰り返し、放射線汚染が拡大した。雨水にたまった死の灰を飲んだ原住民たちの多くが原爆症にかかった。
生まれてくる子供たちは”風土病”といわれる奇妙な病気をもった子が多かった。
マーシャル島のサンゴの海は観光ガイド上の話にすぎず、現実には汚水やごみで汚れており、とても海水浴ができるような海ではなかった。

かつてビキニ環礁の核実験で日本のマグロ船が被爆して船員一人がなくなり、しばらくマグロが食べられなくなったことを、子供時代の恐怖体験として覚えている。

太平洋戦争の激戦地取材以上に、ビキニ環礁核実験の後遺症のすさまじさに驚いたので、急きょ、取材の目的をビキニの放射線汚染に切り替えた。すると取材先のいたるところで、現地人以外の米国人が現れて、こちらが頼みもしない資料やデータをたくさんくれた。たぶんCIAかなにかの人なんだろうと思った。

ビキニ環礁に興味がおありなら、お連れしますよ、と誘われたりしたが、そういう相手が何者かわからず、少し気味が悪かったので断った。
世界遺産に指定されたいま、短期の滞在なら自由にできるし、リゾートホテルもあるというから、隔世の観がある。しかしもともとビキニ環礁に住んでいた原住民はいまだに帰島できないようだ。

オバマ大統領の核廃絶演説いらい、世界の核軍縮の流れが加速し始めている。今年の広島の原爆記念日の式典には、初めて国連事務総長や駐日米国大使も出席する。
核廃絶の世界世論が高まり、核兵器を持つすべての国が同じ志を持つなら好ましいことだ。しかし超大国の核に対抗して自らも核を保有しようとする後進国も少なからず存在する。
ビキニ環礁の世界遺産指定を機に、核廃絶で日本がリーダーシップを発揮する好機が来ている。
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