CALENDAR
S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728     
<< February 2011 >>
ARCHIVES
SELECTED ENTRIES
厚生年金ぼったくりの構造
 貧すれば鈍する国と地方のサイフ
サラリーマンは老後に野垂れ死にする

厚生年金がぼったくられている。自民党の河野太郎さんがブログで訴えている。主張の骨子はこうだ。
  国民年金の納付率は下がり続ける一方だ。こうして、「財政に開いた穴は大きくなりつづける。そして、サラリーマンの厚生年金から国民年金の保険料の未納分を埋めるための拠出金がどんどんと流れ続けていく。」(河野太郎公式サイト「ぼったくられる厚生年金」2020年2月20日、参照)

厚生年金ぼったくりは、給料から税金、社会保険、健康保険のすべてが天引きされるサラリーマンの危機だ。せっせと給料から天引きされている年金積み立てがぐちゃぐちゃにされているのだ。このままゆくと、年金額の建前の数字は元のままだが、実際に手元に入ってくる金がゼロになる、という時代を迎える。

ぼったくる側の国はなんのかんのと屁理屈をつけて、サラリーマンの金をむしりとる手練手管に長けている。霞が関の役人たちは文章一筋の錬金術に長けており、そのための研鑽を専らとしてきた人種である。
霞が関文法に虚飾された特殊な文章を法律と称して布告すれば、無知な国民大衆はたやすく騙されて従うからだ。
それによって、河野さんがいうように、国民年金の未納分へと厚生年金が流れ込む仕組みが作られた。

国によるぼったくりに加え、もうひとつ、地方の役所が国とグルになって厚生年金をぼったくっていることは、まったく知られていない。

以下は知人から直接聞いた話である。
知人は大阪府吹田市に住む年金暮らしの住人だ。昨年の10月から厚生年金の受取額が激減した。調べてみると、年金から住民税がごっそり引かれていた。

会社を退職後、自営業になった知人は青色申告をしている。昨年度の住民税は、税務署で決まった税額通りにすでに全額支払い済みなのに、何の説明もなく年金から住民税が天引きされていた。
びっくりして吹田市に聞くと、年金からも住民税を天引きすることが法律で決まった、という返事。決められた年金という人の財産に断りもなく手を付けるのは犯罪だ。

これは税金の二重取りではないか、と怒った知人は何度か市に電話で確かめたが、その都度、相手はわけのわからない法律の文章を電話口で読むだけだった。読む本人もわかっていない。役人は気が狂ってるんじゃないか、と知人は思ったそうだ。

調べると、小泉政権時代に改正年金法という悪法が誰も知らない間に国会をスルリと通過したらしい。

地域主権の税源委譲とやらで、年金が人身御供になったのだ。人様の年金から好きに住民税を天引きできるようになったらしい。辞任する小泉政権の地方への嬉しいプレゼントだった、というわけである。

知人によれば、10月から毎回天引きされる金額は半端な額ではない。2か月分の年金約30万円に対して、毎度課せられる住民税は約5万円。なんと年金の2割が住民税になって消えているのである。

さらに驚いたことに、来年度の税額までも推定額が割り出されており、割り出された税額に基づいて、来年度の年金からも同額が自動天引きされる仕組みになっている。
厚生年金住民税自動支払い機械、国と地方がグルになったATMの誕生。

まだ今年の税金申告が済んでいないのに、来年度の住民税額が決まっている。摩訶不思議!お釈迦様でもわらないはずだが。

所得の税額が決まらないのに、住民税だけが決まる。なんという人権侵害! これは住民税ではなく、奴隷制度があった古代社会の人頭税に相当すると、知人の怒りが収まらない。人頭税というのは、人間一匹生きている間中課せられる税金のことだ。

そうだったのか。地域主権とは、財政に貧窮した行政が管轄下の住民から一重頭いくらに人頭税を取って、住民を搾取することだったのか。地域主権という甘い言葉に騙されたのは、不覚だった。

そんな地域主権は願い下げにしたい。大阪府の橋下知事は、減税を公約した名古屋の河村市長とも意思疎通して、役所行政の無駄の削減、役人の給料カット、議員報酬の引き下げなどに取り組んでいる。

おそらく橋下知事は、このような吹田市の行政の破綻ぶり、非人間性をご存知ないのだろうが、足元で起こっていることをよく見てもらいたい。

行政の無駄を削れるだけ削って、一方で市民に減税を約束するのが、公僕として、志ある政治家の姿ではないか。

来年の住民税をアバウトに推測して、ためらうことなく高齢者の年金に手をつける行政の血迷った浅ましい姿を、これ以上見たくはない。

来年まで生きているかどうかわからない高齢者に、まだ生きている間に、前倒しして来年分の住民税も取ってしまえ、という発想はどこからきているのか。


行政による住民の生存権の否定。これこそ行政の行う究極の恐怖支配、というものだろう。
| - | 20:53 | - | - |
和の精神とは、八百長の意味でもある
 コンプライアンスとなじまない八百長


岐路に立つ日本はグローバル社会の中で試されている

大相撲の八百長がマスコミを騒然とさせている。相撲の生中継を看板番組にしているNHKも、どうしていいかわからないという報道ぶりだ。
元NHK相撲中継アナの杉山さんは、民放のコメンテーターの常連だが、朝青竜事件や野球賭博問題のときは、関係力士の追放で角界の立て直しを主張をしていたが、今回の八百長問題ではヒステリックに八百長力士を批判するだけだ。おそらく、解決不能なほど根が深い問題であることを自覚しているのだろう。
問題がここへ至った責任は、大相撲に関与して甘い汁を吸ってきたマスコミの責任でもある。マスコミ会社のドンたちが関与してきた横綱審議会は何をしていたのか。

80年代に相撲界を揺るがした、年寄株を担保にして金を借りて角界を追放された輪島のことも、マスコミはほとんど触れていない。年寄株事件は親方の座を金で買う類のスキャンダルで、大相撲の存亡にかかわる八百長の最たる問題だった。しかしこのときも『週刊文春』など週刊誌が騒いだだけで、大新聞やテレビは沈黙していた。

いま起こっている八百長問題は、溜まり溜まった積年の膿が噴出しているように見える。

もともと大相撲は1500年前に誕生した神事で、出演する力士は異形の人だった。神に捧げる祭事だったのだ。江戸時代に発展したが歌舞伎などと並ぶ興行だった。

明治の文明開化でスポーツ文化が欧米から流入し、相撲はスポーツの要素を取り入れながらも、国技としての神事を本質とし、技の格式、品格が重視された。力士は強ければ良い、というものではなかった。

相撲は日本の近代化に随伴して日本を象徴する国技となり、国際社会でも認められるスポーツになった。外国人力士も大勢、日本の大相撲を目指すようになった。

大相撲が巨大化し、国際化するにつれ、国技の本質に存在する日本精神が邪魔になり、大きな矛盾をはらむようになったが、日本相撲協会も所轄の文部科学省もマスコミも、大相撲を内包する矛盾を覆い隠し続けた。

国技であり、神事でもある大相撲の勝負にも型がある。立ち合いからの勝ち方、負け方も神事の要素なのである。勝負は儀式であり、技は様式である。

神のみが知る。そういう勝負の在り方は、力技とは異なる神秘の世界に属する。そこに人知を超えた八百長が生まれる素地がある。

聖徳太子が唱えた」和の精神」は日本精神の神髄だが、これは相撲の在り方や様式に似ている。相撲の勝負は争うものでなく、和の心の内に存在しなければならないのだ。

八百長が悪、というなら和の精神も悪、ということになる。同じことを表から見るか、裏から見るかでとらえ方は違う。

阿吽の呼吸で勝負が一瞬のうちに決まる相撲だから、八百長があっても素人には見抜けない。

今回の八百長事件のキーワードは携帯という新しいツールが使われたことだ。どうして携帯メールで八百長がバレたかというと、野球賭博事件で警察が押収した力士の携帯電話のメールに、そういうやりとりがあったことを、警察がマスコミにリークしたからだ。

力士の八百長勝負そのものは賭博ではなく、犯罪ではないので、携帯メールの本人同意なしの暴露は、個人情報保護や通信の秘密に対する侵害で法令違反になるはずだが、メールをリークされたマスコミはこの問題には一切、触れることはなく、報道している。

がんらい原則を無視した報道は成り立たないのだが、これが成り立っているいまの日本そのものが原則なき八百長社会ということになる。警察のリークを勝手に垂れ流し、それを大目に見ている者たちや国民多数も、もっと大きな野合と八百長を支持している。

話は飛ぶが、米国の一連のトヨタ欠陥車バッシングで、世界第3位だったトヨタが今では400位以下に落ちた。しかし米国政府はトヨタの電子制御に欠陥はなかった、という報告書を今ごろになって公表した。

時すでに遅し。90年代不況下の日本はトヨタで持つ、と言われたそのトヨタがこけた。トヨタの町名古屋は、今では火の消えたようになっているという。おそらく、河村・大村氏の首長選挙勝利も、トヨタ叩きによって、名古屋が沈んだ」からではないか。

トヨタに限らず、日米、日欧ではしばしば経済摩擦が起こり、その都度、日本の有力企業や日本政府やマスコミがバッシングされてきた。

そのバッシングの中身は、いりいろ細かい話や尾ひれはついているが、要するに日本は八百長社会であり、すべての事柄が八百長参加のメンバーで決定されるので、あずからない部外者は蚊帳の外に置かれている、というものだった。

八百長精神こそ、日本の不公正のシンボルである、ということだったのだ。

大相撲が暴露した八百長事件は、マスコミが騒ぐ以上に、根が深い。本当に大相撲を国技というなら、なぜ外人力士に依存しているのだ。日本人の新弟子入門者はほとんどいないではないか。
人材供給源がなくて、どうして国技なんだ。いろんな疑問がある。

国技を廃止し、相撲レスリングとして、格闘技のスポーツとしてさらに外国人に広く門戸を開いてサバイバルする手はあろう。現代のグローバル時代に相撲が生き残るにはそれしかないかもしれない。

それが嫌なら、育った文化が違う外国人力士は締め出し、新弟子には携帯電話もパソコンも禁止して相撲道教育を徹底させ、古来、相撲が伝えて来た様式や技を後世に伝承する純粋な国技としての相撲に戻るしかない。

  この両方を同時に望むのは、身の程知らずの欲張りというほかない。

* * *

 読まれたら以下のブログランキングのURLのクリックをお願いします。

 http://blog.with2.net/link.php?1160984
| - | 12:18 | - | - |
ツイッター革命が広がる中東

 外はどんなに嵐でも頭の上はいつも青空、の日本人
内向きもいい加減にしないと、可愛そうなほどのバカになる
 
チュニジアに端を発した北アフリカの動乱は、エジプトからイエメン、サウジアラビアなど中東各国に広がっている。
独裁者を追放したチュニジア革命に火をつけたのは、ツイッターという新しいメディアだった。

社会の変革の時にはいつも新しいメディアが同伴している。18世紀ヨーロッパの市民革命のときは、イギリスのパブから出て来た活字の新聞が活躍し、フランス革命、アメリカ独立革命のツールになった。
 パブ(PUB)は、公共性(Pubilic)の語源になった。

  20世紀、テレビが台頭した時期、米国が苦しんだマッカーシズムや悪徳政治が追放され、テレビは情報開示を広めて大衆民主主義のためのツールになった。

時代は進み、誰でも世界に発信できるツイッターは、米国初の黒人大統領のオバマ氏を生む原動力となり、閉塞する米国社会のチエンジをもたらした。

そして今、ツイッターやフェースブックが、独裁政治と貧困にあえぐ北アフリカの民衆の蜂起のツールとなった。

世の中の変化は新しいメディア・ツールと共にもたらされるというのは、歴史の真実だ。

われわれはこれに敏感でないと、世界から取り残される。エジプトなんて遠い国、と日本人は考え、そんなところの政変なんてどうでもいい、と思っているだろうが、いざ中東戦争が勃発すれば、石油の一滴も入ってこなくなる。そうなると日本経済は、明日から立ち行かなくなる。日本人も飢える。

政治家や政府はこの目前のリスクを管理する義務があるが、自覚はなく、相変わらずの政治と金とか小沢氏の追放や内輪もめに血道をあげている。官僚たちは既得権益にしがみつき、小沢氏を追放し、消費税を上げれば財政難は何とかなる、という馬鹿馬鹿しい妄想に取りつかれている。
いままで国民から絞りとってきた税金の使途はどうなってるのだ?

ところが、これに見合う国民意識はどうかというと、たまにエジプト観光に出かけた中年のおばちゃんが、動乱に会い、空港に足止めされて「お土産も買えなかった」と嘆く姿が国際報道される。せっかく現地で大ニュースを目撃したというのに、それを観察しようともせず、お土産のことしか目に入らないのだ。すべて人任せ。おいしいものを食べ、みやげを買えばそれでいい。


こんな日本人の姿をまじかに見ている外国人は、日本人のことを、可愛そうなほどバカ、と陰口をたたいているそうだ。日本人は自分たちの過去や歴史を知らず、国際社会のことも知らない。関心もない。

日本人と議論しようとしても、あまりに知識がなさすぎて、議論のベースができず、議論すらできない、ということだ。

国家とは、その国民のレベルに見合う政治や文化のレベルしか得られない、というのは真実で、いまの日本ではこの現実がふさわしいのかもしれない。
人材のいない日本はどんどん貧乏になり、やがて破産するのを心待ちにして、円のフェッジファンド作りに余念のないウオールストリートやシティの金融マンが手ぐすねひいているが、これもいた仕方ないだろう。

心配なのは、若者の元気もなくなっている点だ。ハーバード大学の人気授業のサンデル教授の1000人授業の日本人受講生はたった一人、という現実も、いまの日本の若者のチャレンジ精神のなさ、の現われだ。

韓国、中国の留学生はゴマンといて、積極的に参加しているというのに。しかし日本の若者たちは一方で就職氷河期にあえでいる。海外留学などしていれば、金を使うだけでなく、将来に響く。
なぜなら、日本では海外留学経験のキャリアは評価されないだけでなく、なまじ生意気になって帰国するので、マイナス要因にもなりかねない。

若者の閉塞と元気のなさ、内向き精神を作ったのは、大人社会である。
大人も若者も自分のことだけを考えている。そしていま手にしている小さな現実を失うまいと、必死になってしがみついているのである。

「外はどんなに嵐でも、頭の上はいつも青空」というフレーズは、新井満さんの小説に出て来る、知恵遅れの少女がつぶやく言葉だ。
この言葉はいまの日本人の精神と立ち位置をうまく表していると思う。

| - | 10:57 | - | - |
| 1/1PAGES |

ライブカジノ日光 パチンコパチスロ ま ど マギ 4ロイヤルパンダ招待コードベットマスター公式ウェブサイトエゴカジノバカラ CR 牙狼FINAL優雅堂 カジノ 出金テッド ベット 使い方ボンズカジノ 評判カスモ パチンコ